自分の考えってなんだっけ。ネット検索でいい悪い判断するときない?
こんにちは。今日はパソコンと向き合う日。
そういう日にこういうネタが思い浮かんだりします。
スマートフォンの普及がまだまだだった頃、私は高校生くらいでした。
何かわからないことがあれば周りの大人が教えてくれたし
何か悩んだら友達に相談したりして解決していた。
スマートフォンをみんな持つようになり
俗に言うネット社会になった。もちろん私も。
飲食店も、服も、コスメも、全部全部ネットで
良し悪しがわかるようになってしまった。
調べればどんな料理が出てくるかもわかるし
口コミもわかるし、どんな商品かもわかる。
全体評価が良くても、一部の悪いレビューを見ると買う気が少し揺れる。
(あ、わたしだけ?)
前だったら
「あ、これよさそう〜」って手にとって試した気がする。
「ここのお店おいしいかな〜」ってお店に入った気がする。
「この服似合うかな〜」なんて言いながら試着室にワクワクしながら入った気がする。
選んだものが予想以上によかったりすると
とっても嬉しかったし、
予想以上に悪いととっても悲しくなった。笑
ご飯屋さんを探す時に私は食べログを見て決めたりするし
そりゃあ点数がいい店に行きたい。(だって安全だし)
でも、点数がつけられていないお店でも
いいお店はこの世にたくさんあるわけで。
そんな風にお店を決めてしまってもいいのかと、思ったり。
失敗するのが怖くて冒険できない。
食で失敗するのはすごくテンションが下がるのでなんともいえないが。
この前、急にきりたんぽ鍋が食べたくなり食べられるお店を探してみた。
食べログも評価もないし、口コミもないそういうお店。
入ってみたら接客はとってもいいし
目当てのきりたんぽ鍋もめちゃくちゃ美味しかった。
美食家とかではないので、ご了承を。
友人との時間をとても気持ちよく過ごすことができたし
美味しかったよと違う友人に伝えたら行ってみたいと言ってくれたり。
なんだか
《自分で見つけた美味しい特別なお店》
になった気がする。
まあ、見つけたのはネットで検索なんですけど。
自分で決められるものも、こうやって調べると
ネットの評価を基準として決めてしまっている。
それをいい悪い言うわけではありません、手段であり、決め手なんだと思います。
選ぼうとする時に評価がよければ安心するし。
みんなが行ってるから行ってみるもいい。
みんなが買ってるから買ってみるもいい。
それでよい商品やお店に出会えることはとてもいいと思う。
でも自分の気持ちだってある。自分の意思はちゃんとあるはず。
《とっても特別なもの》
にはならないのかも。なんて。
例えばネットでポチッと買った服よりも
実際に店舗で悩んで買った服の方が大事にしたり、よく着たり。
そんなことないでしょうか?
まあ、ネットで買った服が予想以上によいと
サイコーにテンション上がるんだけどね。
格安スマホの会社をどこにするか決めるのも
賃貸の作りが軽鉄骨か、木造か決めるのも
布団がいいのかベットがいいのかも
決めるのは結局は自分。
やってみないとわかんない、実際。
日本中に布団派の人ばっかりで、それがみんないい口コミで
布団にしてみたら案外腰が痛くなって
ベッドの方がよかったなんてことある。(仮に、の話ね)
ぜ〜んぶ自分が決めてやってみたことが自分の中の
一番信頼できる口コミなんだと思う。
前はこういう失敗したから、今回はこういう風にしてみようとか。
感想なんて人それぞれだから、いいなと思ったら買ったらいいし
やってみたらいい。
それで失敗しても誰かに迷惑かけたりしないし。
わたしはいつも、やってみないとわからない精神なので
とりあえずやってみる。をやってる。
やる前に何か思ったり、調べても
百聞は一見にしかずだから。
とりあえず、自分がいいと思ったら
やってみる。
おわり
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